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zoom RSS 最果ての国(16)インターネット検索

<<   作成日時 : 2017/06/18 10:39   >>

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横内正彦-著
16.インターネット検索

1月1日午後0時21分――
「あらかじめ言っておきます」
と、中央監視室の肘かけ椅子に腰をおろしていたアベルソンが、隣席のマルメラードフとシラセに対して言った。
「僕、騒がしいのが苦手なんです。特にパソコンに向かっているときは静かにしていてほしいんです。お二人にはですね、インターネットに接続しているパソコンをお貸しします。目の前にある機械です。それで調べごとをし、必要があれば保存をしてください。あるいは、印刷をしてください。よろしいでしょうか」
「んー、分かったわ」
とマルメラードフは言って、唇をなめた。
「分かりました」
とシラセは言って、微笑んだ。それから、与えられた卓上パソコンを注視した。
それは、ひと昔前のパソコンで、木箱のような形をしていた。表示画面は貧弱で、小さかった。キーボードとマウスには野暮ったいコードがついていた。キーボードの文字の一部は欠けており、縁の方には食べかすが付着していた。マウスは、ほこりだらけだった。
公衆便所の便座と大差ないな。
シラセはそう思いながらキーボードとマウスに息を吹きかけた。
ついでパソコンの電源ボタンを押し、チラリと横を見た。
アベルソンは作業をはじめていた。
マルメラードフはアベルソンの横顔を見つめていた(まるで恋する乙女のようだった)。
シラセは、見てはならない物を見た、と思った。あわてて目をそらし、インターネット検索を開始した。
キーボードに次々と言葉を打ちこんでゆく。
「ドナルド・エリントン」「南極点ホテル」「ジョージ・エリントン」「南極探検」「犬」「ノン・ドッグ」……。
表示画面には関連情報が出てくる。次々と出てくる。
もっとも、玉石混淆だ。その中から、これは、と思えるものを選択してゆく。
特に必要だと思った情報は「ドキュメント」に入れて保存する。
30分ほどすると、次のような資料ができあがった。

★【米国の月刊誌『サクセス』1992年12月号】
ホテル王エリントンの歩いてきた道

1970年代までワシントンで不動産業を営んでいたドナルド・エリントンは、1981年に世界中から投資家を募り、「エリントン・ホテル&リゾート」というホテル経営会社をニューヨークに設立。1984年以降、他の同業者株のすべてを次々と買収した。1989年から1991年にかけては、いつつのブランド・ホテル――ロンドンの「スィート・ドリーム」、ケープタウンの「ケープ・ホテル&リゾート」、香港の「ジュエリー・ホテル」、シドニーの「ダブリュー・ダブリュー・ホテル」、ラプラタの「スター・ライト・コレクション」――を合体し、「エリントン・ホテルズ・インターナショナル」という新しいチェーンを作った。1992年には、みっつの新しいホテル――ベルリンの「ホテル・ウンター・デン・リンデン」、東京の「極東楼」、南極半島の「グレアムランド・ホテル」――を開設した。
昨今は、コンピュータ・システムに投資し体制を整え確立することに情熱を注いでいる。

★【米国****新聞1993年3月20日】
南極点にホテル建設の動き

19日、エリントン・ホテルズ・インターナショナルの最高責任者ドナルド・エリントン氏は、国連事務総長のアルベルト・パントーハ氏に、南極点ホテル建設に関する企画書と全米科学財団の同意書を提出した。
エリントン氏は、国連の賛同を得られるなら、南極点(南緯90度の地点)に国際的な観光ホテル――24の客室からなる4階建ての建物――を建てたい、と述べている。

★【米国****新聞1993年4月4日】
南極点ホテル建設構想に暗雲

3日、エリントン・ホテルズ・インターナショナルの最高責任者が国連に提出した南極点ホテル建設構想に対して、南極領有権主張国――イギリス、ノルウェー、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリ――の代表がそろって反対意見を述べた。

★【米国の週刊誌『ニュー・フロンティア』1995年7月7日】
新たな南極点ホテル建設構想出る

7月1日、ホテル王のドナルド・エリントン氏が、こう語った。
「南極点ホテルの建築に関して、やっと、お許しが出た。各国が出した諸条件は厳守するつもりだ。南極点には、陽光風力水素実験の監視室と客室からなる3階建てのホテルを作るつもりだ。建築作業は、9月から3月まで日が沈まないという特性を最大限に利用し、24時間体制で行く」と。

★【英国の月刊誌『ディスカヴァリー』1993年2月号】
驚くべき実態

南極のアデリー・ペンギンの記録を残した探検隊員ジョージ・M・エリントンは、ペンギンの同性愛行為、死姦、幼鳥の虐待などを発見して恐れおののいたという。

★【英国鳥類学会機関誌『バーズ』1984年8月号】
アデア岬のアデリー・ペンギン

ジョージ・マレー・エリントンは、後に著わした論文の中で、「アデア岬の雄のアデリー・ペンギンたちは、たびたび丘のはずれに行って、そこに住む同性のペンギンに堕落した性行為を仕かけていた」と述べている。

★【ノルウェーの愛犬家TMOのブログ】
我が友シベリアン・ハスキー

シベリアン・ハスキーは北方の人たちにとって最も忍耐強くて献身的な友人であり、誠実な旅のパートナーです。この犬はピアリーによる北極探検、アムンセンやスコットの南極探検などで目覚ましい活躍をおさめ、その地位を確立しました。

★【米国の動物評論家R・S・ミルのブログ】
シャクルトンのすぐれた輸送手段

アーネスト・シャクルトンはポニー、イヌ、モーターを組み合わせた輸送手段で南緯88度23分に到達し、イギリスの領有を宣言しました。そのやり方は革新的で、スコット隊に強い影響を与えました。

★【英国の登山家J・M・スミスのホーム・ページ】
ソリ犬の扱い方

南極点初到達を競った英国のスコット隊とノルウェーのアムンセン隊。両者の明暗を分けたのはソリ犬の扱い方だったと思います。
アムンセンは弱ったソリ犬から順に射殺して食料にし、往復約3000キロを98日間で走破……

★【ロアール・アムンセンの『南極日記』】
私たちの有能な僚友で、忠実な助力者だったイヌのうち24頭が死ぬことになっていました。辛いことでした。でも、やむを得ませんでした。私たちは心に決めていました、目的を達成するためには何事に対しても尻込みしない、と。

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★【スイスのMOMのブロブ】
ロアール・アムンセンは1911年12月14日の日記に、こう記しています。
「こうして我々は到達し、我々の旗を南極点に立てた。神に感謝を!」
いっぽう、ロバート・ファルコン・スコットは1912年1月17日の日記に、こう記しています。
「おお、神よ。ここはひどく恐ろしい土地です。言語を絶する苦難を克服してきたのに、一番乗りの栄誉さえ得られませんでした」「さらば、白日夢のすべてよ!」

★【白瀬矗の『南極探検』】
ここにわれらが悲しく哀れに思ったのは、輓犬二十三頭との別離だ。わが隊のためにしじゅう他念なく働いてくれた彼らは、われらにとっては恩人であった。同僚であった……(中略)……
危機一髪の瞬間に臨んでいながら、せめてはと乾鱒(ほします)数俵を陸地に残しておいた。花守、山辺は、わが子に別れるより悲しかったであろう。船がだんだん離れると,犬は尾を振ってしきりになつかしげに、また悲しげにうなだれていた。花守はついにしくしくと泣きだしたのである。山辺も毛もくしゃの手で目をおさえている。

★【カラフト犬飼育担当者・山辺安之助の『南極探検談』】
白瀬隊がニュージーランドに向かう際には、天候急変のため、わずか6頭のカラフト犬しか船に収容できませんでした。つまり、わたしたちは21頭を見殺しにしたのです。わたしと花守は、当座のエサとして数俵の干し鱒を氷上に残しましたが、船が離れるにつれて犬たちは尾を振って鳴きながら船の後を追い……

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★【インターネット辞書】
犬食

東アジアには現在も犬肉を食する人々がいる。
だが、英国人、ユダヤ教徒、イスラム教徒は犬食の文化を嫌っている。英国人は愛玩動物を食用とする文化に対して、強い嫌悪感をいだいている。ユダヤ教徒は教義により、犬食をタブーとしている。イスラム教徒は犬を不浄な生き物と考え、食することはおろか、触れることさえ避けている。

★【カナダのある調理人のブログ】
ソリ犬の利点

@荷物の運搬ができる。
A粗食に耐える。耐久性・耐寒性にすぐれている。
B他のイヌに食べさせることができる。
C探検隊に新鮮な肉を提供できる。

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